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ver.9.0 親孝行者 〜山本聖子物語〜 - 総合格闘技向上委員会 - 格信犯ウェブ

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ver.9.0 親孝行者 〜山本聖子物語〜

marc_nas
2004.09.24
「Hero's eye 〜アテネオリンピック編〜」に触発され格信犯ブログで書いた山本聖子についてのコラムを加筆・修正したものをお届けします。
2004年8月22日の日記より
 2004年8月22日。この日、世界は五輪女子レスリング予選で盛り上がる中、山本聖子は24歳の誕生日を迎えた。その場所はアテネの代表のマットの上ではなく。
 ミュンヘン五輪に出場した父:郁栄から五輪の聖火に因んで名付けられた聖子。五輪という檜舞台に立つことなく、幕を引いた姉:美憂。そんな美憂のエスペランサであった聖子もまた今回、五輪出場を逃してしまった。
 2003年9月の世界選手権で59kg級として出場した聖子は優勝したにも関わらず「自分の階級じゃないので悔しい」と言った。本来55kg級であった聖子は吉田沙保里に55kg級代表の座を奪われ、アテネ五輪では実施されない59kg級への階級変更を協会より通告されたのであった。その翌年の2月の五輪最終選考会:クイーンズカップで、本来の55kgに戻し再び吉田沙保里に挑み、そして敗れ、五輪出場の夢は破れた。
 勝った吉田は会見で「死ぬ気で戦いました。五輪代表になれなかった父の分までがんばろうって思ってたから」と言った。
 一方、敗れた聖子は「父をもう一度、五輪に連れて行ってあげたかった。私は親不孝者です」と涙を流した。そして「(吉田)沙保里は自分のレスリングと人間の幅を広げてくれた存在。金メダルをとってきてほしい」とライバルにエールを送った。
 約束を守り吉田はアテネで金を獲った。おそらく聖子が吉田の代わりに出場していても間違いなく金を獲っただろう。しかし五輪が48、55、63、72kg級の4階級のみで実施され続ける以上、これからも実質、金メダル決定戦と言われる国内代表選考会で吉田から代表の座を勝ち獲るほかない。二度と親不孝者とならないために。
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