4月25日PRIDE GP開幕戦。ヘビー級3強の一角とされていたミルコ・クロコップが敗れ去った。この敗戦、人それぞれ様々な見解があるだろう。私自身、この試合が終わってもなお試合前と変わらず思い続けていることがある。『ランデルマンはミルコが負ける相手ではない』というものだ。PRIDEというリングはなにが起こるかわからない。一発の偶発的なパンチやアクシデントで決着してしまう試合を、これまでに何度も見てきた。が、そういったものを加味しても、ランデルマンはミルコが負ける相手ではなかったと思うのだ。では、なぜこの試合は私の見解と異なる結果になったのであろうか。
PRIDEに本格参戦してからのミルコの試合は、彼独特の常に張り裂けそうな緊張感がリングを支配していた。それは自分がこのリングで、並々ならぬ強豪に対抗できうる唯一の武器である『打撃』を繰り出すために、スタンディングポジションをキープする必要があったからだ。自分はテイクダウンを取られてしまっては勝負にならない。それはミルコ自身が一番知っていたことではないだろうか。この類まれな緊張感が研ぎすまされた集中力を生み出し、PRIDEという過酷な舞台で結果を残すことができたのである。唯一敗戦を喫したノゲイラ戦でも、スタンディングではミルコが圧倒していたのだった。ただ、その敗戦はスタンディングのみの戦いに限界を感じさせるものとなり、そしてミルコはグラウンドの重要性を認識することとなった 。それがPRIDE27でのロン・ウォーターマン戦に現れていた。この試合で簡単にテイクダウンを奪われたミルコであったが、それを彼は『予定通り』と言ってのけたのだ。あたかも、テイクダウンされたあとの対応をテストしたと言わんばかりに。結果はご存知のとおり、グラウンドを耐え忍んだミルコがスタンディングに戻った直後に勝負をつけたのである。彼の言う『テスト』には合格したということだろう。しかし、この合格に落とし穴があったのだ。自分の戦いに対する引き出しが増えたことによって余裕が生まれ、それが今回の『慢心』へとつながってしまったのではないだろうか。
ランデルマン戦の試合開始直後、私は非常に強い違和感をミルコに感じてしまったのだ。いつものピリピリとした緊張感がまったく感じられなかったのである。対するランデルマンからは非常に強い警戒心と気迫が感じられた。 この一戦でミルコは一発も打撃を出せずに撃沈した。この試合に懸けていたランデルマンと、すでに8月の決勝を見据えていたミルコ。両者の試合に対する意識の違いが、この結果を生んだのであろう。
一瞬で築き上げてきたものが崩れ去るPRIDEのリング。メンタルの重要性を再認識させられた一戦であった。
4月4日に行われた全日本柔道体重別選手権。世間は100キロ級での井上康生と鈴木桂治のオリンピック代表の座をかけた一騎討ちに注目していたのだが、ここで思いもよらぬドラマが生まれた。
シドニーオリンピックと昨年の世界選手権ではオール一本勝ちし、世界に最強の名を轟かせた井上康生、そして昨年の体重別選手権でその井上に土をつけ、世界選手権無差別級を制した鈴木桂治。今回の大会でも順当に両者が勝ちあがれば決勝でこのカードが実現するはずであった。しかし、この黄金カードは思わぬ伏兵の出現で消滅したのである。その伏兵の名は井上智和。なにを隠そう井上康生の実の兄である。
井上康生といえば父親の明さんは有名であるが、この井上智和の名をどれだけの人間が認知していたのだろうか。ただ、弟康生のオリンピック優勝、そして世界選手権2連覇の栄光を陰で支えてきたのは、頻繁にブラウン管に登場する父親の明さんではなくこの智和だったのだ。あるときは康生の練習相手をつとめ伝家の宝刀である内股を磨かせ、そしてあるときは試合前の康生を入念にマッサージする役割すらこなし、徹底して弟をサポートしてきたのだ。
そして、このオリンピック代表を決める大会で、智和はこれ以上ないサポート役を果たしてしまった。康生と同じ100キロ級に出場し、準決勝で弟の最大のライバルである鈴木を破ってしまったのである。
この大会の前に明さんは井上兄弟それぞれに手紙をあてたという。康生には「100キロ級の王者はお前。誇りをかけて戦え。天国の母さんも努力を見ているし、負けるわけはない」と勇気づけた。そしてこれまで鈴木に全敗していた智和には「意地を出せ。出さないと親子の縁を切る。康生を王者にしたいなら、命を懸けろ」と勘当すらちらつかせて奮起を促したという。父の手紙がなければこのドラマが生まれることはなかったかもしれない。この結果、康生のオリンピック代表は確実なものとなった。
井上智和。彼もオリンピックを狙える逸材であったには違いない。それだけの実力も十分に持ち得ているはずだ。が、しかし、彼が不幸だったのは弟という自分の知る一番近い人間が最強であったということだ。私は知りたい。この井上智和という男のことを。なぜ恵まれた才能を持ちながらも、ここまで献身的に弟を王者にという気持ちを持てるのか。鈴木を破ってもなお弟の陰に隠れてしまっている兄智和。彼の心の奥底にいったいどんな感情がうずまいているのだろうか。男として、兄として、そして柔道家として。
昨年暮れに表面化したZERO-ONEとWJの抗争に決着をつけるべく、両団体のトップである橋本真也と長州力の一騎打ちが2月29日にZERO-ONE3周年記念興行のメインイベントで実現された。
結論から言ってしまおう。この戦いからは『なにも感じなかった』のだ。感動はもとより興奮すらも覚えることはなかった。11分8秒、2人のこれまでの経緯をリングで表現するには、あまりにも短すぎた試合時間であったこともさることながら、とても万全とは言えない2人のコンディションからもこのような結末は心のどこかで予想していたことだったのかもしれなかった。
ただ、ひとつ残ったものがある。『長州力は潰れなかった』という事実だけは残ったのだ。
試合自体は長州がリキラリアット、サソリ固め、雪崩式ブレンバスターなどを繰り出してペースを握っていたのだが、どの技にも『革命戦士』と呼ばれた以前の力強さを感じることはできなかった。一方、試合中に右肩の脱臼を悪化させた橋本は長州優勢に見られた展開を重爆キック1発で引っくり返しスリーカウントを奪ったのだが、そのあまりにもあっけない幕切れに会場全体は違和感に包まれたのだった。
なにごともなかったように自分の足で控え室へ消えて行く長州に対して、若手の肩を借りなければ起き上がることすらできなかった『破壊王』橋本。会場全体には『消化不良』という意識に統一された空気が漂ったが、それはむしろ長州よりも橋本へ対する『消化不良』ではなかったのだろうか。
もうこの2人の確執というものは薄れてきているのだろう。そもそもあれほど蔑んでいた橋本真也のZERO-ONEリングにあがること自体、長州にとっては屈辱とも言えるのではないだろうか。この試合のたった2日後には橋本と会談の場が設けられ、なんと今度は『ハッスル2』への参戦が表明されたのだった。長州の必死さが如実に表れているように思えるのだが、その必死さの度合いはWJの経営状態と反比例しているようにも感じられる。エンターテイメント路線を追求したハッスルに参戦せざるを得ない姿には悲壮感すら漂って見えるのは気のせいだろうか。
長州力が現役でいる限り、WJはプロレスで潰されることはないだろう。だがプロレス以外のなにかが原因でWJが崩壊してしまったとき、すべてをかなぐり捨てている長州力に一体なにが残るというのだろうか。
2月某日、かねてからのBSE(牛海綿状脳症)による影響で、とうとう街から牛丼が姿を消した。『牛丼がない!!』と暴れだして逮捕される輩も出現したらしいが、プロレス界でも暴れている『牛』がいた!!そう、新日本プロレスの猛牛こと天山広吉だ。
世間が牛丼消滅に揺れる2月15日、横浜でPRIDE武士道、沖縄でK-1JAPAN、そして両国ではチャンピオン中邑真輔のベルト返上によって空位になったIWGPヘビー級王座の決定トーナメントが行われる新日本プロレスという、一日遅れのバレンタイン興行戦争が繰り広げられていた。
さて、このトーナメントには天山もエントリーされていたのだが、ほんの2か月前までは天山がチャンピオンだったわけだ。そう、新日本の若き天才、中邑真輔に奪取されるまでは。その試合を私は大阪府立体育館で観戦していたのだが、序盤から試合のペースは一方的に天山のものだった。だが、7度目の挑戦でやっと手に入れたベルトを、一瞬の間接技による大逆転で易々と手放してしまったのだ。伝統のIWGP選手権試合であれほどあっけない幕切れは初めてだったかもしれない。総合格闘技の試合であれば、さほど驚くこともなかっただろう。しかし、新日本プロレスのマット上であのような事故的な幕切れは、心にモヤモヤしたものが残ったというのが率直な感想だったのだ。年末のK-1に中邑をIWGPチャンピオンの『プロレスラー』として出場させようとした新日本の策略かと疑いもしたぐらいだ。こうして中邑は年末年始の壮絶な戦いを経てスターへの階段を上って行ったわけだ。さて一瞬のうちに王座から転落した天山はどうだったのだろうか。
その後の天山の試合の中でひとつ印象に残ったものがあった。2月1日に行われたIWGPタッグ選手権試合で、鈴木みのる/高山善廣組と対戦した天山は、試合中に鈴木からマウントポジションを奪うとパンチやチョップではなく、顔面へ頭突きをぶち込んだのだ。これはPRIDEなどのいわゆる総合格闘技では反則である。パンクラスで総合格闘技を経験してきた鈴木からしてみれば、あの場面で頭突きがくるなどとは考えもしなかったのではないかろうか。ここに総合格闘技に対して『プロレスラー』の強さや厳しさにこだわる天山を見た気がしたのだ。
数日後に行われたIWGP王座決定トーナメントでも、私の大方の予想どおりにその厳しさを見せた天山が第35代チャンピオンに返り咲いたのだった。これは新日本プロレスの計算や目論みではないと信じたいところだ。今後も天山には『プロレスラー』としてさらなる厳しさを見せていってほしいものだ。近い将来に中邑との真の王者を決める戦いが待っている。その戦いから新日本プロレスの求める『プロレスラー』像が見えてくるのではないだろうか