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プロレスバカより愛を込めて

プロレスバカより哀を込めて

28ん
2009.07.14

 2009年6月13日22時10分 三沢光晴永眠

 あまりにも唐突で、あまりにもショッキングなニュースだった。
 その日、私は飲み会の真っ最中。くだらない冗談を肴に宴を楽しんでいるところに、知人、友人からのメールでの報告が続く。

 結局その日は事務所に夜中戻る。ネットにて情報収集。橋本真也の時もショックだったが、その時のスキャンダラスで不透明な情報とは違い、試合中のアクシデントということでプロレスバカとしてはショックも倍であった。

 何故こんな事が起きてしまったのだろうか?
 ここからは私の主観でしかないのだが、対総合格闘技への抵抗(もがき)がこういう結果を招いたに違いないと思えてならない。

 プロレスはショーか?スポーツか?八百長か?真剣勝負か?
 そんなこだわりやそれを明確にしたり、誤魔化したりすることに何の意味があるのだろうか?
 「ショーであろうがなかろうが、あれだけのことをするためにあんなに身体を鍛えているからすごい。」そんなコメントさえ私は不要だと考える。プロレスはプロレスだ。それ以下でもそれ以上でもないのだ。

 かつて力道山の時代。空手チョップだけで人が湧いた。
 外人レスラーを倒す日本人(実際は在日韓国人だが)というシンプルな構図からか。筋書きのない真剣勝負ととらえていたからか。その真偽はわからない。何故なら私はその時代に生きていない。
 私のリアルな体験から言うと、初代タイガーマスクの登場には興奮した一人だ。人間(常人)離れしたパフォーマンスに興奮したのだ。まるで超人をみるかのように。150キロのストレートを投げる投手に感じる興奮のような、それがある種プロアスリートを見るその感覚に近かったのはプロレスがスポーツというカテゴリーに属していたのかもしれない。

 新しい時代が幕を開ける。総合格闘技の波だ。プロレスのグレーゾーンを見事払拭する真剣勝負という名のシンプルな戦い。プロレスラーがそこで強さを示せなかったことでますますショー的視点で隅へと追いやられていくプロレス。興行戦略からか、ハッスルなるものが現れ、ファイティングオペラと銘打ちショーであることを大々的にアピールする。真剣勝負=総合格闘技:ショー=プロレス。の完全2極化の戦略により、旧態からの私のいうところのプロレスというカテゴリーは完全に宙ぶらりんな状態にされてしまう。その中でおふざけではないプロレス。激しいプロレス。は対総合格闘技への抵抗(もがき)の中で活路を見出すしかなくなってしまったのである。

 危険度、難易度の高い技が数多く編み出され、身体への負担、酷使があたりまえとなる。身体へのリスクと引き換えにレスラーはお客さんへのアピールを続ける。FMWのハヤブサ選手の試合中の事故の時にもかなり嫌な感じを受けたのを覚えている。本当のプロレスファンはそんなことを望んではいないと思う。プロレス大賞に選ばれた「小橋vs健介」のチョップ合戦による試合。それでも充分に感動し、涙できるのだ。

 齋藤彰俊の家は嫌がらせの電話や手紙が届いているそうである。それを見かねた仲田部長が「選手は毎試合、死を覚悟して試合に臨んでいるので、誰のせいとかは無い。だからそういう行為は三沢本人も望まないので止めていただきたい。」という旨のコメントを発表した。そういうコメントこそ止めてもらいたい。死など覚悟していない。真剣にプロレスを行うという覚悟で選手はリングに上がってはいるが、そこに死を連動などさせていないはずだ。生死というリアリズムを発することでプロレスというビジネスのイメージを崩さないなどというのであれば、それは愚弄だ。対総合格闘技という呪縛から一刻も早く抜け出してもらいと願うばかりだ。

 全日本プロレス社長武藤選手がコメントしていた。日頃「レスラーである以上死ぬ時はリングで死にたい。」と言っていたが、今回このようなことがあった以上、今後そんなことは言えなくなると・・・

 楽しく激しく、プロレスはプロレスであり続けて欲しい。しかし、その行き着く先の究極が決して「死」ではないことだけは誤解せずにいて欲しい。激しさ=危険という誤訳が悲しみを生まないことを祈りたい。

 三沢選手のご冥福を心より祈り、三沢選手の死を無駄にしないプロレスの未来を期待する。

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