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ver.10.0 哀しきパイオニア 〜山本美憂物語〜 - 総合格闘技向上委員会 - 格信犯ウェブ

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ver.10.0 哀しきパイオニア 〜山本美憂物語〜

marc_nas
2004.10.01
「Hero's eye 〜アテネオリンピック編〜」に触発され格信犯ブログで書いた山本美憂についてのコラムを加筆・修正したものをお届けします。
2004年8月23日の日記より
 女子レスリング生中継番組で解説していた山本美憂は全階級メダル獲得に「みんなよくやってくれました。ほんとにありがとう」と泣いた。自らの悲願である五輪出場の夢を奪った彼女たちに対して。
 エンセン井上の妻にして山本KID徳郁、山本聖子の姉。ミュンヘン五輪に出場した父:郁栄からミュンヘンに因んで美憂(みゆう)と名付けられ、父のもと指導のもと、91年に17歳で世界選手権を制し、その後も各大会の優勝を総ナメする。その後、彼女は三度の引退を経験する。
 そして三度目の引退から2年、アテネ五輪での女子レスリング正式種目化が決定し、悲願である五輪出場の夢を叶えるために2002年秋復帰。しかし、2004年2月の五輪代表選考大会であるクィーンズカップで惜しくも3位に終わり、結局、五輪出場の夢叶わぬまま4度目にして本当に最後の引退をしてしまった。
 もし彼女が後10年産まれるのが遅ければ、もし女子レスの五輪正式種目化がもっと早ければ。。。と考えてはいけないのかも知れないが、どうしてもそんな事を考えてしまう。
 女子レスリング界の五輪までの道を耕し、皆を導きながら、自らはとうとう五輪出場という夢を果たすことなく、最後には引導を渡される形で退いた彼女。山本美憂こそ女子レスリング界の牽引者であり、メダルラッシュの真の功労者ではなかろうか。そんなことを考えながらふと確信した。
 彼女のTV中継で流した涙は自身の悔しさからくる涙ではなく、共に戦い五輪へと導いた仲間達への感謝の涙だと。
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