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忘れ物 -田村vs船木戦決定-

u-spirit
2008.03.28
田村潔司 vs 船木誠勝。

 なんだか、そんな気がしていた。主催者にすれば、GPの日本人対決は、必ず次戦にどちらかかが生き残る都合のいいカード。PRIDEの時代から多用してきた手法:”リスクヘッジブッキング”。理由はどうあれ、田村潔司ファンである僕にとって、このカードは、とても意味がある。出来るならば、もっと早く実現させて欲しかった悲運な組み合わせ。

 田村潔司の歴史の中で、唯一、登頂していない山、それが船木誠勝だった。田村が初めて見た船木は遥か尾根に写ったに違いない。同じ年齢なのに、田村が新弟子で入門したUWFでは、既に中核を担っていた大先輩。当時、天才と呼ばれていたのは船木の方だった。憧れた遠き山の麓に辿り着こうと、必死に鍛錬を重ねるも、負傷し復帰した直後に船木という山は忽然と田村の目の前から姿を消した。あの日から、二人は一度もリング上で交わる事が無かった。田村はアタックするチャンスさえ手に出来なかった。

 前田日明と言う断崖から何度も落とされ、最後は死にもの狂いで登り切り、高田延彦という聳え立つ高嶺に流れ星の如く、閃光の一殺で凌駕した田村潔司。越えるべき”師”は越えてきた。だが、越えるべき”先輩”が残っていた。もう、誰もが忘れかけていた。互いの路で、船木が強かった頃、田村も強かった。どうして、あの時…。過去を怨んでも仕方ないのは、承知の上、どうしても交われなかった”U最高の遺伝子”と”U最後の遺伝子”が『U最強の遺伝子』を賭けて対峙するには、あまりに遅すぎた。

 前田日明と船木誠勝が和解し対談した頃から、この”DNA”対決が決まる”予感”はあった。しかし、それは同時に10カウントの始まりを意味する。憧れ続けた”U”の終焉が確実に近付いてくる。Uの魂を、”最強”を、屈する事なく守り続けた田村潔司のフィナーレの幕が上がってしまう。田村潔司よ、答えは見つかったのか?いや、僕も目を逸らさず立ち会って見つけよう。最後に控える”越えてもらうべき後輩”との『U完結試合』に向けて。

Uオタクと笑いたいなら、笑えばいい。君らが精々、乳児の頃に、先輩に楯突いて真剣勝負の理想郷を進言した船木誠勝と何事にも屈せず、先輩の理想を貫いてきた田村潔司。這いつくばって生きてきた”男”の生き様は、たとえ、君達には無様に写っても、僕にとっては最強にしか見えない。彼らが居なかったら、今は無い。彼が居たから、先が有る。血と汗を流してきた背中に、途中から口出しないで一緒に見てくれ。何かを感じるさ。
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