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其処にある底 -DREAM.11- - 闘議(とうぎ) - 格信犯ウェブ

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闘議(とうぎ)

其処にある底 -DREAM.11-

u-spirit
2009.10.18

 多くの競技には確立された形式と明確なルールがある。だからこそ曖昧なモノは競技と誰も見なさない。DREAM.11を見て内に残るザラついた感覚。寂しさ、妬ましさ、悔しさ。

一体、格闘技に僕は何を求めてきたのか?

 単純明快に抱いた素朴な疑問「誰が一番強いのか?」それを証明するために発生したのがジャンルを越えた総合的な格闘技、MMAだったはずなのに、今大会に対して以前の様な明確な否定をできない。何故だろう。

 今大会を敢えて例えるならば、昭和のテレビ特番で見ていた「スター大運動会」。

 主役である売れっ子アイドル、人数合わせの無名タレント、全ての引き立て役の芸人。三者がそれぞれのポジションを理解した上で「競技」という名の「イベント」に全力で取り組む。アイドルは可愛く、格好良く、爽やかに、無名タレントは出張ることなく目立たぬ様に、芸人は盛り上げるために枠を超え脱線してみせる。皆、明日の自分のために、それぞれのカタチの全力を投じる。

 総合格闘技大会が大運動会のようになってしまった背景には、格闘技を取り巻く厳しい現実がある。人々の感心が薄れていく中、競技としての確立よりコンテンツの生き残りを賭け、お茶の間への分かり易さを優先した「謙り演出」は仕方のない妥協かもしれないと顕著に出た数値に思わざる得ない。あれだけ飽きたと言われた亀田大毅の試合が20%超える視聴率なのに対し、DREAM.11はミノワマンの試合が最高でも12%止まり。これが現実なのだ。

 しかも苦渋の選択の渦中で必死にもがく選手たちの試合が明日に繋がる保障など何処にもない。それでも目の前の試合を全力で闘った選手たち。だから、興行としては認めるべきだろうけど、会場でLIVE観戦できなかった後悔には至らない。それはたまたま見た連ドラの続き見逃した時と同じ感覚。放送していれば見るが、たとえ次回を見逃しても気にならない。よもや自分が格闘技の大会を見て、こんな感覚に陥るとは・・・。

 DREAM.11というスター大運動会でアイドル扱いだったのが桜庭、川尻。無名タレント扱いだったのがソクジュ、バラクーダ。芸人扱いだったのがミノワマン、ボブ・サップ。その他は一応、選手として扱われていた。今、ピンで活動する清純派アイドルが絶滅した様に、過剰に色付けすると真実味はますます薄れて気付かれる。格闘家や競技者はシンプルに「強さ」が基準だったからリアルファイトと呼ばれた。それ以外の物差しにより、カテゴライズした時点でイメージファイトとなってしまう。

 それでも生き残らねば明日はない。自分が長年愛した格闘技に失望だけはしたくない。百年に一度の不景気と言われる俗世間と同様に、今は残存することが最優先だと信じるしかない。リアリティーが色褪せ底尽く前にMMAが再び、正道を歩みだせる日の到来を切望する。

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