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ver.21.0 最強を夢見た少年はいつしか ~060930_K-1@大阪~

marc_nas
2006.10.06
 2006年9月30日、K-1 WORLD GP@大阪城ホール。毎年大阪ドームで開催されるGP開幕戦は、今年、少しグレードダウンし大阪城ホールでの開催となった。空席の目立つ場内でイマイチ盛り上がらない観客を、一気にヒートアップさせたのはメインの誰の目から見てもジェロム・レ・バンナ vs. チェ・ホンマンだった。私自身もかなり熱くなったのだが、その数試合前のレミー・ボンヤスキー vs. ゲーリー・グッドリッジ、普通の人はスルーしてしまうようなこの試合に、私は最も熱くなり、こみ上げる感情を抑えきれなかったのだ。
 少年の頃、男の子なら誰しも一度は"最強"を夢見たはず。そして、大抵の場合、自分よりも圧倒的に強い人間に出逢い、そしてその最強への夢を挫折する。それでも諦めなかった者、また自身が圧倒的に強かった者のみがプロファイターとなる。グッドリッジもまた、夢を諦めず、圧倒的に強かった側の人間のはず。
 UFCでトーナメント準優勝など、ある程度の活躍を見せ、PRIDE.1から参戦。その後、勝ち負けを繰り返すうち、いつの間にか初参戦の選手の力試し的な役割を担う「PRIDEの番人」と呼ばれるようになったグッドリッジ。小川直也の初参戦の相手を務めたり、ギルバート・アイブルにハイキックで衝撃的KOをされたり、ある時は猪木軍として担ぎ出されたり。最強を追い求めたはずの少年は、敗北を重ね、圧倒的な力の差を見せつけられるうち、いつしかプロモーターが求める自分の立ち位置を理解していったのだろう。しかし、そこにある種の悲壮感はなかった。
 1999年のPRIDE.8。グッドリッジは第5試合でトム・エリクソンに敗れた。そしてその日のメインで、桜庭がホイラー・グレイシーに勝利し、観客やセコンド陣は初のグレイシーからの歴史的勝利に歓喜し、嗚咽した。そして、桜庭はリング中央で肩車されていた。肩車をしていた主はセコンドの誰でもなく、グッドリッジ。彼は数試合前に敗北したことを微塵も感じさせず、日本人ファイターのグレイシー狩りの喜びを分かち合ったのだ。本意はただの目立ちたがり屋で、サービス精神旺盛な人間だったのかも知れない。しかし、その光景に私は好感を得ずには、いられなかった。
 そののち、敗れたエリクソンに教えを請い、セコンドに付いたり付かれたりの盟友となっていた。彼のセコンドには私が覚えている限り、マーク・コールマン、ジョシュ・バーネット、マイケル・マクドナルドと、幅広く輪を広げていった。二度の対戦をしたバンナもまた、ローキックでKO勝利したのち、歩けなくなった対戦相手の彼をおぶって控え室まで運んでいったのだった。(→ver.17.0 リング外で見た友情)こういった姿からも窺えるように、彼は誰からも愛されるキャラクターなのだろう。
 そして彼は2003年の大晦日のドン・フライ戦を最後に、一度は選手を引退することとなる。その後のK-1で復帰することとなった際には、色々と揶揄されることもあったが、やはり私はファイターとして彼を応援し続けた。一度は消えかけた最強への夢がまた違うステージで再燃したのかと思いきや、K-1では更に観客が喜ぶKOするかされるかの、突貫ファイトを展開し、PRIDEの頃にも増してファイトスタイルは色濃く、愛されるものとなっていった。
 前置きが長くなったが、今大会、彼は開幕戦にはエントリーされていなかったのだが、直前のピーター・アーツの病欠により代打出場することとなった。会見での記者の「なぜ毎回、直前のオファーを断らないのか?」の問いに「僕はどんな時でもオファーに応えられるよう準備している。衰えも感じないし、ゴウリキ・パワーを信じている。与えられた課題には、全てベストを尽くしてやり遂げたいと思っている。対戦相手が誰だろうが、会場がどこであろうが、オファーが来たら僕は迷わず"イエス"と答える。もちろん、技術うんぬんで言えば僕はベストファイターではないかもしれない。でも、自分のパフォーマンスでファンが喜んでくれると信じているし、自分自身のことも信じている。選手によっては敗北への恐怖心で、試合数が減ってリングから遠ざかったりする選手もいるが、僕はそういう考えではない。勝てる可能性が少しでもあればプロである以上、最後までKOを狙って行くべきだし、それで逆転されても、お客さんが喜んでくれるならそれでいい。(中略)ピーターには感謝してるし、一日も早く良くなって欲しい」と答えたのだ。
 PRIDEからK-1へ鞍替えした際にも、今回のような急なオファーを毎回受ける度にも、"金のためだ"という人もいるが、私はグッドリッジの会見での言葉を信じたい。また、その格闘哲学は"最強への道・常勝街道"という点に於いては、正解ではないのかも知れない。十二分な準備があってこその、十分な結果なのだとも思うけれど、そんな選手が増える中、彼の現代格闘技へのアンチテーゼのような哲学には、激しく共感出来るし、男らしささえ感じる。
 しかし、いややはりと言うべきか、リングに上がった彼の腹はたるんでおり、準備不足の感は否めず、レミーの妙技オンパレードが如く、左右のハイキック、華麗な飛び膝を喰らうこととなる。1Rに見事な右飛び膝でダウンを喫するも、完全に目の焦点があっていない状態で立ち上がり、観ているこちら側が辛くなるような状態でも闘い続けた。なんとか耐えて迎えた2Rも、レミーの華麗な蹴り技は続き、意識朦朧としている中、レミーの脚を抱え、パンチを繰り出す。そして、最終Rも右膝→パンチのラッシュ→右ハイキックで左目周辺をカットし、おびただしい量の出血をし、マットに沈められることとなった。
 試合後のインタビューで、途中から意識がない状態でのファイトで、記憶がないことを明かした。そして、記者が「急なオファーのためコンディション面で大変だったのでは?」との問いに対して「1年中、コンディションを整えるよう努めている。だから問題はなかったが、よりコンディションを高めるという意味では厳しかった」とやっと漏らした。だが、それは決して言い訳には聞こえず、あくまで勝利を狙い、戦略を立てて闘ったことを強調した。
 現代格闘技界に於いて、時代錯誤ともとれる彼の格闘哲学とファイトスタイル。だけど、常勝主義のこのご時世に、こんな天然記念物のような男がいてもいいじゃない。間違った男らしさかも知れないけど、素直にめちゃくちゃかっこいいと思うのです。私はそんなグッドリッジが大好きでならないのです。ただ、頭部への攻撃に相当弱くなっていることから、かなりダメージが蓄積しているのが窺えるのが心配でなりません。あと何年続くか分からない現役生活だけれども、無理はせず・・・と言っても、無理をしてしまうのが、彼なんだろうなぁ、またそんなところがまた私の心をくするぐるのだろうなぁ。そんな彼に幸あれ、グッドラック、グッドリッジ。
※今回もstandの記者として取材させて頂きました。
 standにも同内容のコラムを掲載しております。
 試合結果は格信犯データベースにて。
 大会の写真はGallery/PhotoAlbum Vol.1+Vol.2にて。
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