boutholic道場探訪・出張版[道場探訪] 柔術の総本山・パレストラ東京を見学してきました! |
Guest 2005.04.08 |
総合格闘技boutholic管理人
この度、総合格闘技boutholicで「道場探訪」というコーナーを始めました。これは、格闘技の道場を訪問し練習内容などを紹介するものです。第1回として、中井祐樹先生のパレストラ東京を取材させていただきました。その模様をレポートしましたので、どうぞご覧下さい。
この度、総合格闘技boutholicで「道場探訪」というコーナーを始めました。これは、格闘技の道場を訪問し練習内容などを紹介するものです。第1回として、中井祐樹先生のパレストラ東京を取材させていただきました。その模様をレポートしましたので、どうぞご覧下さい。
池袋駅から西武池袋線で2駅目の町・江古田。日大・芸術学部をはじめとした学生街として知られているが、総合マニアの間では、「パレストラ東京」のある町として有名だ。「パレストラ東京」とは、元修斗ウェルター級王者・中井祐樹先生によって設立された、修斗とブラジリアン柔術の道場である。設立は1997年12月1日。北は北海道から南は九州まで、国内31ヶ所、海外に1ヶ所の支部を持つ、総合格闘技の道場だ。
今回、中井祐樹先生とパレストラ番頭・若林太郎氏のご厚意により、道場を見学させていただけることになった。江古田駅からは徒歩で10分ほど、都営大江戸線の新江古田駅からはわずか1分ほどの、カエサル江古田ビルB1階に、「パレストラ東京」が居を構えている。
練習を見学をさせていただいたのは土曜日の4時過ぎから、ちょうど道場が開いてすぐの時間帯で、練習生の姿はまだまばらだった。道場内には取材をしている僕たちと若林氏、中井先生、白帯の練習生の5人ほどだった。
中井先生は、白帯の方をじっくりと丁寧に指導されていた。日本人初の黒帯柔術家によるマンツーマンの指導!
その後、若林氏は修斗ニュースの締め切りの関係で帰宅され、ほどなく道場生が集まってきて、練習が本格的にスタートした。
まず始まったメニューは、下からの腕十字に対する防御方法だった。中井先生がまず手本を道場生に示し、練習生同士で反復するというのが練習の流れだ。
ガードポジションをとる相手が自分の腕を掴み、十字を取りに来る。相手の足が自分の顔にかかる前に、掴まれていない腕で、掴まれた腕の手首をフックし、足が自分の顔にかかるのを防御する。こうすると、腕ひしぎ十字固めを狙われていた腕が固定され、それ以上腕が伸びることはなくなる。
「ちょうど、見えない相手にチョークスリーパーをかけているように」と中井先生。十字を防御した後は上からプレシャーをかけて、相手の攻撃をつぶしパスガードを狙っていく。素人でもわかる、詰め将棋のような防御方法だった。
その後、道場生同士の反復練習やスパーリングなどが始まるが、中井先生は要所要所で細かいテクニックを指導していた。押さえ込んだ相手の足の動きを封じる胴着の掴み方や、パスガードにつながる細かい足さばきなど、動きのポイントの指導である。
相手の中途半端なハーフガードをちょっとした足さばきでスッと抜け出す。その足の動きは、市販の技術書やDVDなどでは決して解説されることのない、細かく地味な動作だった。「多分こうやって教えていかないと、なくなっちゃうんでしょうね」と中井先生が語る。その姿に、柔術という技術の指導だけでなく、武道的な何かを垣間見た気がした。
パレストラのキャッチフレーズは“マーシャル・アーツ・コミュニケーション”「格闘技は、言葉や人種、年齢の壁を越えることができるコミュニケーション手段である」という言葉を、あなたも体感してみてはいかがだろうか?きっともっと格闘技の面白さを実感できる。
※また、練習風景のビデオもコチラにて公開していますので、ぜひご覧になってください。
2005年1月15日に今成正和選手が道場長を務めるバルボーザジャパン東京@高田馬場の道場開きを行われました。そこで、バルボーザジャパンを主宰するTAISHO選手と親交のある、くまさん@くまページに今成選手のインタビューをお願いしました。その時の模様をお伝えします。
くま「じつは大阪でフリーペーパーやってる知人に頼まれて・・・」
今成「フリーペーパーって何ですか?」
くま「・・・えっと、無料で読めて、いろいろ記事が書いてある・・・」
今成「格信犯ってやつのことですか?」
くま「はい!そうです。」
今成「あぁ。ちっちゃくて、おしゃれっぽい人。」
<2004年11月28日のCLUB DEEP@大阪でmarc_nasが今成選手と鬼木選手とお会いし、格信犯を渡しお話させて頂きました>
今成「フリーペーパーって何ですか?」
くま「・・・えっと、無料で読めて、いろいろ記事が書いてある・・・」
今成「格信犯ってやつのことですか?」
くま「はい!そうです。」
今成「あぁ。ちっちゃくて、おしゃれっぽい人。」
<2004年11月28日のCLUB DEEP@大阪でmarc_nasが今成選手と鬼木選手とお会いし、格信犯を渡しお話させて頂きました>
くま「前田戦はどうですか?」
今成「どう、といっても気にするほどの相手じゃないし。」
くま「うわあ。何か秘密の作戦とか考えたりはしないですか?」
今成「しないですね(即答)」
関係者「でも、一応ソッカに勝ってるぞ。」
今成「ソッカに勝ってるって言っても、別に柔術で勝ったんならともかく、違うからあんまり関係ないでしょ。」
酔っていたとはいえ、実に今成選手らしいお言葉を頂戴できました。くまさん本当にありがとうございました。次回は三島☆ド根性ノ助戦を控えたTAISHO選手のインタビューをお伝えします。
参照:バルボーザジャパン東京 道場開きの様子今成「どう、といっても気にするほどの相手じゃないし。」
くま「うわあ。何か秘密の作戦とか考えたりはしないですか?」
今成「しないですね(即答)」
関係者「でも、一応ソッカに勝ってるぞ。」
今成「ソッカに勝ってるって言っても、別に柔術で勝ったんならともかく、違うからあんまり関係ないでしょ。」
酔っていたとはいえ、実に今成選手らしいお言葉を頂戴できました。くまさん本当にありがとうございました。次回は三島☆ド根性ノ助戦を控えたTAISHO選手のインタビューをお伝えします。
参照:DEEP 18th Impact 今成×前田戦試合結果
「くまページ 総合格闘技の歴史」出張版くま格闘技観戦の歴史(総合格闘技以前〜) |
Guest 2004.11.19 |
くま 33歳 くまページ管理人
ただ試合結果のみを掲載するサイトとの差別化から、試合の内容や選手のプロフィールを掲載した資料性あるサイトを目指してデータを蓄積するというのが「くまページ」のコンセプトです。日本人の参戦した試合をベースにしたデータベースの構築を目指しており、また調査の際に集めた資料を元に「くまページBLOG」ではニッチな情報を発信したいと考えています。
ただ試合結果のみを掲載するサイトとの差別化から、試合の内容や選手のプロフィールを掲載した資料性あるサイトを目指してデータを蓄積するというのが「くまページ」のコンセプトです。日本人の参戦した試合をベースにしたデータベースの構築を目指しており、また調査の際に集めた資料を元に「くまページBLOG」ではニッチな情報を発信したいと考えています。
私は元々自分で空手をやっていたこともあり、昔から格闘技には興味がありました。もちろんプロレスはテレビで放送していましたので見ていましたが、やはり興味としては空手やボクシングといった競技的な物の方に比重が置かれていました。実際、高校の頃から「フルコンタクト空手」が愛読雑誌でしたし、夜中の時間をもてあましていた私は放送しているボクシング中継をほぼ余さず観戦するようになりました。今回は、私の格闘技観戦の歴史について、総合格闘技に至るまでを、ポイントの試合を中心にご紹介したいと思います。
私が一番良くボクシングの試合を見ていた90年頃といえば、日本では鬼塚勝也、ピューマ渡久地、川島郭志、そして辰吉丈一郎といった豪華メンバーがまだ日本ランカーレベルで凌ぎを削っていた時代です。また旧ソ連から輸入ボクサーがデビューして、勇利アルバチャコフが圧倒的な強さを見せていました。この頃の日本のボクシングは、本当に面白かったです。もちろんゴールデンに放送される世界戦の中継も見ていましたが、ここでは当時からニッチなことが好きだった私の印象に残っている試合をいくつか時系列で紹介したいと思います。
■日本フェザー級タイトルマッチ(90年11月16日・後楽園ホール)
○園寿和(京都拳闘会・挑戦者)
●淺川誠二(神戸・王者)
4R KO ※園が第40代フェザー級王者に。
○園寿和(京都拳闘会・挑戦者)
●淺川誠二(神戸・王者)
4R KO ※園が第40代フェザー級王者に。
淺川誠二選手はSバンタムの日本王座を5度防衛中の安定した王者で、この試合の後世界挑戦をする計画という、当時の日本でもトップクラスの選手でした。対する園選手、87年に相手が次々と棄権する中、2勝でSバンタム級西日本新人王を獲得した選手です。このタイトルマッチのオファーがあった時には日本6位だったのですが、タイトルマッチ前の試合で負けてしまい、挑戦時には日本10位というランキングでした。園選手の実家は京都の地図屋で、家庭の事情からこの試合を最後に家業を継ぐことが決まっていました。正直、淺川選手の世界前哨戦の為のかませ犬として選ればれたという訳です。
当然関係者はもちろん、淺川選手も、そして当の園選手さえも淺川選手が勝つと思っていました。園選手も「ボクシング人生の最後に淺川さんのような選手と戦えて光栄です。」などとコメントをしており、試合前の控え室では仲間とレポート用紙に「もう減量なんかせえへんどー。ボクサーから相撲取りへデューダだ〜。」という落書きと一緒にボクシング引退後に食べる食べ物のリストを作っているといったリラックスぶりでした。
コールされて入場する両選手。園選手は試合のトランクスのみで質素に入場。対する淺川選手はラメ入りの銀のガウンで登場です。ガウンを脱ぐと、淺川選手の靴とトランクスも銀のラメ入りで、フリンジがビラビラとあしらわれていました。
試合は1Rから淺川のペースで進み、園は防戦一方といった試合内容でした。正直力の差は明白で、園がいつ倒されてしまうのだろう、といった試合内容で3Rが終了しました。そして4R、淺川が園に圧力を掛けてロープ際まで追い詰めたその時、園の放ったフックがきれいに淺川の顎にヒットしました。返しのフックを当てると淺川はペタンとマットに座り込みダウン。レフェリーがカウントを始めます。意識ははっきりとしているものの、びっくりしている淺川、そして園は「なんで?」といった表情で呆然と立っています。レフェリーのカウントに合わせて「うん、うん」とうなずく浅川。しかし顎を打たれて脳を揺らされた為、立ち上がることが出来ずはっきりした意識の中でカウントアウトにより浅川のKO負けとなります。
本人も含めて誰もが思っていなかったタイトル奪取。チャンピオンベルトと認定書を受け取り、アナウンサーがリング上でインタビューをします。
アナ:「KO勝利おめでとうございます。(観客の『世界〜』という野次が聞こえる)
会場からは『世界』といった声も聞こえますが。」
園 :「いえいえ。僕の力は僕が一番分かっていますから。この試合で引退します。」
解説席の浜田剛史さんが「私も長年ボクシングを見てきましたが、こんなケースは初めてです。」などとコメントしていました。
アナ:「KO勝利おめでとうございます。(観客の『世界〜』という野次が聞こえる)
会場からは『世界』といった声も聞こえますが。」
園 :「いえいえ。僕の力は僕が一番分かっていますから。この試合で引退します。」
解説席の浜田剛史さんが「私も長年ボクシングを見てきましたが、こんなケースは初めてです。」などとコメントしていました。
この試合の敗戦で、浅川選手の世界挑戦は2年ほど遠回りをすることとなります。浅川選手は本当に納得がいっていない様子で、後のインタビューでも「引退したなら、ストリートファイトでもいいから再戦したい。」とコメントしていました。
10戦6勝(2KO)4敗(1KO)という戦績ながら、西日本新人王と日本王座をタイミングよく取った園選手。実力を持ちながらラッキーパンチで敗れて遠回りをし、世界挑戦のタイミングを外してしまった浅川選手。結局浅川選手は東洋フェザー級タイトルは獲得するものの、脂の乗り切った時期を逃して世界には手が届きませんでした。しかも、浅川選手は引退後の01年7月に、湖で溺れて帰らぬ人となってしまいました。
この試合は、試合自体もまるで作ったような展開で印象的でしたが、その後の人生までをも象徴しているようで、忘れられない試合でした。
■WBA世界J・バンタム級タイトルマッチ(90年6月30日・タイ チェンマイ)
●中島俊一(挑戦者・ヨネクラ)
○カオサイ・ギャラクシー(タイ)
8R TKO(レフェリーストップ)
●中島俊一(挑戦者・ヨネクラ)
○カオサイ・ギャラクシー(タイ)
8R TKO(レフェリーストップ)
■日本J・バンタム級タイトルマッチ(90年10月15日)
●中島俊一(王者・ヨネクラ)
○鬼塚勝也(挑戦者・協栄)
10R 2分42秒 TKO(セコンドのタオル投入)
●中島俊一(王者・ヨネクラ)
○鬼塚勝也(挑戦者・協栄)
10R 2分42秒 TKO(セコンドのタオル投入)
■日本J・バンタム級タイトルマッチ(91年3月18日)
●中島俊一(挑戦者・ヨネクラ)
○鬼塚勝也(王者・協栄)
10R 判定
●中島俊一(挑戦者・ヨネクラ)
○鬼塚勝也(王者・協栄)
10R 判定
90年頃、中島俊一という日本王者のボクサーがいました。高校時代には演劇部に所属していたという経歴で、明治大学でボクシングを始めて卒業後にプロになった選手です。88年に日本J・バンタム級王者となり6度防衛しているというなかなかの選手ですが、見た目はあまり強そうではありませんでした。そしてなんと言っても一番の特徴は、その驚異的な打たれ強さでした。
90年6月に世界挑戦のチャンスを得た日本王者の中島選手。王者のカオサイはそれまでタイトルを13度防衛しておりタイの英雄として名高く強い王者でした。この王者相手に、中島選手は果敢に戦いました。結果は8RKO負けでしたが、この試合で中島は1回のダウンはおろか、後退すらせずに終始前に出続けたのです。王者のカオサイはアウトボクシングで中島をめった打ちにするものの退かず倒れない中島を見て「レフェリーはどうして止めないんだ!」といったアピールをする状態でした。
そんな中島選手が再び世界に挑戦する為に、日本に戻って90年10月にタイトルマッチを行うことになりました。相手は13戦13勝12KO無敗という脅威の戦績を誇るホープ・鬼塚選手です。アマチュアのエリートだった鬼塚はすでに高い人気を誇っており、セコンドにはタレントの片岡鶴太郎。切れるパンチでKOの山を築き、国内無敵の存在でした。
鬼塚に対して王者の誇りを持つ中島は若い鬼塚のパンチを浴びて顔を腫らしながらも怯まず、堂々とい打ち合いを挑みます。そして最終10R、鬼塚の猛打が中島に襲い掛かります。中島は打たれ続けて血だるまの状態となるもやはり後ろには引かず、鬼塚に反撃のパンチを繰り出します。顔は腫れあがりふらふらになりながらも決してダウンをしない王者を見かねたセコンドがタオルを投入し、TKO負けとなりました。しかし、負けたとはいえスター鬼塚を相手に王者の誇りを見せた中島は、私に深い印象を与えたのです。
そして91年3月に、鬼塚選手の2度目の日本タイトル防衛戦で再度両者が激突します。中島選手は、まだまだ世界最挑戦をあきらめてはいませんでした。挑戦者となった中島は、鬼塚に対して果敢に打ち合いを挑むも王者となった鬼塚のパンチは精度を誇り、次々と中島の顔面を捉えます。世界王者となってからは判定勝利の多かった鬼塚ですが、世界挑戦前はそのほとんどをKOで勝利しており、前の試合では1RKOで勝利を飾っています。その鬼塚のパンチを受け続けるも、中島はあきらめずに反撃を続けたのです。正直、漫画でこんな試合展開を描いたら嘘臭い、というほどの試合内容でした。結局10R終了で大差の判定となり鬼塚の勝利となるのですが、私は「すごい物を見た」という気持ちで呆然とTVを見ていました。
この3戦を最後に中島選手はボクシングを引退しました。いずれも打たれての敗戦でしたが、完全燃焼と言っていいと思います。現在は茨城・水戸でジムを経営している中島選手。パンチドランカーになっていないかだけが心配です。
そして、93年に始まるK-1がまだ無かったこの頃、フジテレビではキックボクシングの放送が深夜に行われるようになりました。確か最初の放送のメインは、現在総合格闘技界の中心にいる慧舟会(当時はまだ空手の道場でした)の西良典と、ヨーロッパ中量級の帝王ロブ・カーマンの試合でした。
北斗の覇王・西良典が87年に長崎に慧舟会という空手の道場を開いたことは、当時フルコンタクト空手をやっていた私にとっては印象的な出来事でした。空手の道場ながら、当初から短刀による組み手など、多分に総合をイメージした練習を行っていた事を覚えています。
■全日本キック(90年9月28日・後楽園ホール)
●西良典(慧舟会)
○ロブ・カーマン(オランダ)
1R KO
●西良典(慧舟会)
○ロブ・カーマン(オランダ)
1R KO
その西選手が35才にして、バリバリの帝王カーマンに挑むもKO負けを喫しました。正直すでに西選手の動きはやや峠を越えた印象がありましたが、帝王を相手になかなかがんばったことは確かでした。試合後にプロレスラーの盟友・藤原組長と西選手が抱き合って泣いて悔しがったという記憶があります。
この西選手、その後リングスに参戦し、修斗のVTJでは日本人で始めてヒクソン・グレイシーと対戦するなど総合格闘技を考える上では外せない人物です。現在では表に現れることはほとんどありませんが、当時は30代後半ながら現役選手として打撃もグラップリングもできる総合格闘技の草分けでした。
当時は今ほど試合の機会は多くありませんでしたから、平直之や本間聡など総合系の格闘家はいろんな競技、大会に出ていたという記憶があります。90年頃というのは、純粋な総合格闘技はまだ日本にはほぼ存在しない時代でした。
当時は今ほど試合の機会は多くありませんでしたから、平直之や本間聡など総合系の格闘家はいろんな競技、大会に出ていたという記憶があります。90年頃というのは、純粋な総合格闘技はまだ日本にはほぼ存在しない時代でした。
この日の放送での他の試合は、ムエタイ7冠王のチョモンペット・トーユンヨンにキックの世界王者の清水隆広が挑む試合や、8年間無敗の伝説のキックボクサーだったモーリス・スミス、後にK-1で活躍するチャンプア・ゲッソンリット、日本のホープだった立嶋篤史など見所満載のメンバーでした。当時から空手雑誌でキックボクシングの記事を読んでいた私はTVでキックが見れるいい時代が来たものだと喜んだものです。
この試合の放送は、フジテレビの清原プロデューサー(現・PRIDEプロデューサー)が格闘技に理解があり放送に尽力したという背景から実現したものです。このあと93年にはじまるK-1の放送のプロトタイプとも言える放送で、私は立ち技格闘技の一つのターニングポイントであったと言えると思っています。
そして、
□91年 UWFの解散、3派(リングス、Uインター、藤原組)への分裂
□93年 パンクラス、K-1、UFCがそれぞれ旗揚げ
□94年 シューティングがヴァリトゥード・ジャパンを開始
などといった流れがあり、アメリカや日本でほぼ単発の総合イベントが次々を開催されるといった状況が生まれます。そして、その中心はグレイシー一族でした。
□91年 UWFの解散、3派(リングス、Uインター、藤原組)への分裂
□93年 パンクラス、K-1、UFCがそれぞれ旗揚げ
□94年 シューティングがヴァリトゥード・ジャパンを開始
などといった流れがあり、アメリカや日本でほぼ単発の総合イベントが次々を開催されるといった状況が生まれます。そして、その中心はグレイシー一族でした。
■道場破り(94年12月7日・アメリカ/ヒクソン・グレイシー柔術アカデミー)
●安生洋二(プロレス/UWFインター)
○ヒクソン・グレイシー(グレイシー柔術)
6分45秒 KO(チョークスリーパーにより失神)
●安生洋二(プロレス/UWFインター)
○ヒクソン・グレイシー(グレイシー柔術)
6分45秒 KO(チョークスリーパーにより失神)
そして94年12月に安生がヒクソンに道場破りを敢行するという事件が起きます。アポイント無しで記者を引き連れて道場破りを敢行した安生選手。Uインターでは道場を仕切り、ポリスマンとして実力には定評のあった選手でありながら、どこかユーモラスな雰囲気を持っており、個人的には好きな選手でした。実際、安生なら勝てるかも知れない、と当時の私は少し思ったりしたのですが、結局酒を飲んでから道場に行った安生はヒクソンに意図的にボコボコにされて何もできないまま失神させられました。
ただ、プロレスラーとして総合格闘技を行った初めての日本人ということもあり、その後も総合格闘技で白星は挙げられませんでしたが、私のなかではある意味特別な選手の一人ではあります。実際この人がいなかったらUインター出身の選手の総合での活躍は無かったでしょう。
そして97年10月にPRIDE.1が開催され、高田延彦がヒクソン・グレイシーに何もできずに敗退するという大きなターニングポイントのイベントが行われました。日本中の格闘技ファンが失望したこのイベントの2ヶ月後、日本の総合格闘技界に一つの光明が現れます。
■UFC Japan "Ultimate Japan 1"(97年12月21日・横浜アリーナ)
○桜庭和志(プロレス)
●マーカス”コナン”シウヴェイラ(ブラジリアン柔術)
1R 3分45秒 ギブアップ(腕ひしぎ逆十字固め)
○桜庭和志(プロレス)
●マーカス”コナン”シウヴェイラ(ブラジリアン柔術)
1R 3分45秒 ギブアップ(腕ひしぎ逆十字固め)
TV東京の深夜枠という、マイナーな時間ながらTVで放送されたUFCの日本大会。ヘビー級トーナメントが行われ、プロレスラーで数少ない総合のできる安生洋二、UFCで活躍していたタンク・アボット、柔術黒帯のマーカス”コナン”シウヴェイラ、そして急遽参戦の桜庭和志というメンバーでした。
正直、桜庭選手は総合初参戦で、コアなファンからは、若いのに渋いいぶし銀の選手という評価でしたが、Uインターでも目立った活躍をしていたわけではありませんでした。しかも、予定していた選手に出場を断られ、急遽Uインターから選手を出すこととなり、4日前に金原選手にオファーが行くも断られたところから、若手の桜庭選手に出番が回ってきたといいういわば間に合わせの出場でした。
この桜庭選手、マーカス・コナンと1回戦で対戦し、打撃を受けながら低空タックルに入ったところをレフェリーにストップされ、セコンドの金原の指示で30分オクタゴンに居座るという抗議の末に決勝でコナンと再戦という流れとなる波乱がありました。
再戦の決勝では、コナンが桜庭のバックをいきなり奪う場面からのスタートとなりました。当時としてはいきなり絶対絶命の状態であるポジションからコナンの腕を取り、回転しながら腕十字に移行して一本勝ちをおさめるという快挙を成し遂げました。
再戦の決勝では、コナンが桜庭のバックをいきなり奪う場面からのスタートとなりました。当時としてはいきなり絶対絶命の状態であるポジションからコナンの腕を取り、回転しながら腕十字に移行して一本勝ちをおさめるという快挙を成し遂げました。
当時は柔術を学ばなければ総合で勝つことは難しいと思われており、総合格闘技系の団体ではこぞって柔術のテクニックを研究していた時代でした。そんな中で、トップのプロレスラーではない桜庭選手が柔術黒帯から一本勝ちをおさめて「プロレスラーは本当は強いんです」という台詞を吐いたのです。高田選手がヒクソンに敗れて沈んでいたファンに対する、まさしく救世主が現れたのです。
以降は現在の総合格闘技につながる流れですので割愛しますが、一貫して言えるのは、結果が明確に出る競技が好きであるということと、アドバンテージのある競技や選手に対しての思いいれが強いと言うことです。総合格闘技というまだ若い競技を、その創生期から見ることができたのはある意味幸せなことだと思っていますので、私の好きな競技の片隅に少しでも貢献できたら、と思っています。
「旧イチゲキヒッサツ」出張版引かない漢、“チェ・ム・べ” |
Guest 2004.11.13 |
いむてく 32歳 流浪の格闘技ファン 電気機器技師
旧イチゲキヒッサツ管理人。プロレス及び格闘技観戦歴2X年。知識はありませんが、観戦歴の長さだけなら負けません。近年、PRIDEにどっぷりつかっているようです。流浪の格闘技ファンの次の行き先は・・・?
旧イチゲキヒッサツ管理人。プロレス及び格闘技観戦歴2X年。知識はありませんが、観戦歴の長さだけなら負けません。近年、PRIDEにどっぷりつかっているようです。流浪の格闘技ファンの次の行き先は・・・?
今興行では、タイトルマッチをはじめとする大物ぞろいのビッグマッチが多くマッチメイクされました。しかしながら、名前を見た限りではその影に隠れてしまいがちなカードが・・・。第2試合 ソラ・パラレイ vs チェ・ム・ベ。
私個人として、全く知らない選手“パラレイ”。その相手、「武士道シリーズ」で魅せた無骨な男“チェ・ム・べ”。片や総合7戦無敗の新手・・・片や這い上がり・・・。そんな軽い気持ちだったのは、すみません、正直なところです。試合は終始“パラレイ”ペースの打撃の応酬!出せば当たる・・・。右アッパー・・・右フック・・・左右のラッシュ・・・。“チェ”の顔面や体にヒットしたパンチは、1R・76発、2R・60発(数えましたが間違っていたらすみません)。それでも前に出る・・・押し込んでいく“チェ”。前へ・・・前へ・・・そして前へ。「重戦車」という比喩がふさわしいほどに、前へ・・・。
以前、“角田信朗”氏が言っていた事を思いだします。「格闘家たるもの、死ぬときはリング上だろうが道端のドブだろうが、どんな時でもどんな死にかたでも、絶対に前のめりで・・・」そう言っていました。
これも民性なのでしょうか?前戦の“山本”戦を見ても、今の“チェ”には格闘家に一番必要なモノがあります。どんな素早いフットワークよりも・・・どんな力強いタックルよりも・・・どんな綺麗なサブミッションよりも・・・どんな技術よりも・・・一番必要な、あきらめない心。精一杯頑張る心。我慢して、我慢して、我慢して、そして我慢して・・・さらに我慢して・・・へたくそなバックハンドブローを繰り出し、残り時間が30秒という無謀と思われる時間帯にタックルをし、その機を逃さずに、ばたばたとしながらも力ずくで締め上げて、残り時間わずかで勝利する!!もはや逆転などと言う言葉のくくりでは収まらない戦い。最後に、自分で自分の頭を3発殴って「全139発の我慢劇」の完成。皆の事を忘れない、「フィーバーポーズ」も大アリです!
いかがでしょうか?そんな不恰好で、無骨で、不器用で・・・そんな生き方もアリなのではないでしょうか?なんとなく、こういう人を見ていると実生活でも頑張って生きていけそうです。信仰心はありませんが、どこかで神様は見ているから・・・きっと頑張ればいいプレゼントをくれるのでしょう。“チェ・ム・ベ”・・・・引かない漢
K-1 FANSITE「KCHANNEL」出張版K-1ファンより哀をこめて |
Guest 2004.07.28 |
Hiropon 31歳 KCHANNEL管理人
K-1を創生期より見つめ続け、その豊富な知識と確かなデザイン力、そしてなによりK-1への愛情でファンサイトの範疇を越える膨大なデータベース量と最新のニュースを発信するサイトを運営されております
K-1を創生期より見つめ続け、その豊富な知識と確かなデザイン力、そしてなによりK-1への愛情でファンサイトの範疇を越える膨大なデータベース量と最新のニュースを発信するサイトを運営されております
総合格闘技全盛の昨今、はっきりと水をあけられた感があるK-1を皆さんはどう見られているでしょうか。誤解を恐れずに書きますが、K-1のファンサイトを管理している私自身、最近のK-1は「面白くない」と強く感じています。何がK-1をつまらなくしてしまったのか、そしてどうすればK-1が再び格闘技としての面白さを取り戻せるのか。これまであちらこちらでよく議論されたテーマですが、この場を借りて素人なりにもう一度見直してみたいと思います。
【ボブ・サップ】
いわずと知れた野獣サップ。
すっかりお茶の間の人気者となったサップが名を挙げたのは2002年です。総合ルールにてあのノゲイラをあわやという所まで追い詰め、またK-1ルールではホーストを連破。さすがにこの時はいわゆる純K-1ファンも沈黙したものです。当時右肩下がりだったK-1はこのサップの勢いと親しまれるキャラクター性を利用し、安易に視聴率を稼げるサップ主役路線に走りました。しかしその肝心のサップがミルコ戦以降は失速してしまいます。
いわずと知れた野獣サップ。
すっかりお茶の間の人気者となったサップが名を挙げたのは2002年です。総合ルールにてあのノゲイラをあわやという所まで追い詰め、またK-1ルールではホーストを連破。さすがにこの時はいわゆる純K-1ファンも沈黙したものです。当時右肩下がりだったK-1はこのサップの勢いと親しまれるキャラクター性を利用し、安易に視聴率を稼げるサップ主役路線に走りました。しかしその肝心のサップがミルコ戦以降は失速してしまいます。
サップにとって「総合」や「K-1」は未知の競技への挑戦です。その肉体的強靭さと相性(?)もあってホーストを連破したまではよかったものの、試合数を重ねるにつれ弱点を次々と露呈してしまいました。芸能活動の合間を縫った付け焼刃程度の練習では、一流どころが集まる舞台で通用しないのは当然の結果だったのかもしれません。サップが来てからK-1は変わったと嘆くファンの声をよく聞きますが、このような状況を招いてしまったK-1サイドにこそ問題があるのではないでしょうか。サップに罪があるとすれば、試合中に行った数々の反則行為。それまで比較的クリーンだったK-1ですが、彼の登場以降他の選手の反則も別段珍しくなくなりました。ただそういった一連の反則行為もサップ自身の真意かどうかは分かりませんが。
そもそも今のサップは自ら望んでリングに上がっているのか疑問です。静岡大会でのサップは試合前の映像からも明らかにモチベーションが低下していました。試合中もすがる様な視線を何度もセコンドのグレコに向けていました。サップを擁護するつもりなどはありませんが、もしかすると視聴率という鎖に繋がれたサップこそが一番の被害者なのかもしれません。
【曙】
いわずと知れた平成の大横綱。
ファンの間でサップと同じくらい非難を受けている曙。そもそもK-1は立ち技最強を決めるというコンセプトで作られた戦いの場です。第一回大会も空手、キックボクシング、ムエタイなどで頂点を極めた八人の選手によって争われました。そういった観点から見ると相撲も立派な立ち技。曙はその頂点に立った力士、しかもその知名度は抜群で出場資格は十二分にあるといえます。
いわずと知れた平成の大横綱。
ファンの間でサップと同じくらい非難を受けている曙。そもそもK-1は立ち技最強を決めるというコンセプトで作られた戦いの場です。第一回大会も空手、キックボクシング、ムエタイなどで頂点を極めた八人の選手によって争われました。そういった観点から見ると相撲も立派な立ち技。曙はその頂点に立った力士、しかもその知名度は抜群で出場資格は十二分にあるといえます。
ただ問題はその扱いではないでしょうか。デビュー戦であるダイナマイトは、ある種お祭り的な大会でもあるし、紅白や他局の格闘技番組との視聴率戦争という側面もあったのでメインという扱いも納得できるのですが、最強を決定するはずのワールドシリーズで主役を務めるというのはいかがなものでしょう。K-1では実績の無い選手が、いきなり世界大会二位の武蔵とメインで戦うという異常なマッチメイク。話題性はあるが、話題性しかないカードとなってしまいました。結局この強引な曙の持ち上げ方が、K-1にとっても曙自身にとっても不幸な結果となっている気がします。
【タイソン】
いわずとしれたボクシング世界ヘビー級王者。
サップ、曙と来たらタイソンを外すわけにはいきません。最初にタイソンがK-1参戦かと騒がれたのはもう3年も前の事です。「K-1グラディエイター」にてバンナとベルナルドの勝者がタイソンとの対戦権を得る・・・そんな報道が一部雑誌などで掲載されていました。この時、石井和義元館長が実際ドン・キングと接触をしたらしいですが結局頓挫します。
いわずとしれたボクシング世界ヘビー級王者。
サップ、曙と来たらタイソンを外すわけにはいきません。最初にタイソンがK-1参戦かと騒がれたのはもう3年も前の事です。「K-1グラディエイター」にてバンナとベルナルドの勝者がタイソンとの対戦権を得る・・・そんな報道が一部雑誌などで掲載されていました。この時、石井和義元館長が実際ドン・キングと接触をしたらしいですが結局頓挫します。
その後、昨年夏のラスベガス大会にタイソンが観戦しサップが挑発したことから、再びタイソン参戦が大きく報じられました。皆さんご承知の通り未だタイソンのK-1参戦は実現していませんし、ボクシング復帰という話も大々的に報道され、これに対しK-1サイドはノーコメントです。まだ断定はできませんが、やはりタイソンのK-1参戦は難しいのではないでしょうか。ボタを初め多くのボクサーがK-1のリングで辛酸を舐めている姿を見て、頭の良いタイソンが乗り込んでくるとは思えません。これはボクシングとK-1が似て非なる競技なので当然の判断と言えます。仮にもしタイソンのK-1参戦が実現したとしても、一時的な注目は浴びるものの、結果としてK-1のその場しのぎの戦略といわざるを得ません。
【総合】
そもそもK-1が総合と本格的に絡んだのは、右肩下がりになったK-1の現状への起爆剤として2001年に対猪木軍路線をブチ上げたのが最初です。その大会でミルコが藤田の額を割りTKO勝利し、以後K-1軍(という言い方も不自然ですが)の対総合要員の筆頭に挙げられました。その後猪木祭りで全面対抗戦を行い、PRIDEのリングにも次々とK-1選手が出場します。あくまで結果論ですが、こういったK-1の総合への絡みが、現在の総合ブームが急速に加熱した一因になっているのではないかと思います。確かにそれ以前から桜庭のグレイシー狩りやシウバ、ノゲイラの登場でファンの支持を得ていましたが、K-1と絡んだことにより一般のファン層をも獲得できたのは間違いない事実です。結局その後K-1とPRIDEは交流が途絶えてしまい、結果として名前を利用されたK-1にすれば憤懣やるかたない思いもあるでしょうが、ファンの視点からすればより多くのハイレベルな格闘技を目にする事ができたのですから結果オーライです。その後ミルコやレコ、ハントなどの流出を許してしまうのもK-1サイドの致命的なミスでした。
そもそもK-1が総合と本格的に絡んだのは、右肩下がりになったK-1の現状への起爆剤として2001年に対猪木軍路線をブチ上げたのが最初です。その大会でミルコが藤田の額を割りTKO勝利し、以後K-1軍(という言い方も不自然ですが)の対総合要員の筆頭に挙げられました。その後猪木祭りで全面対抗戦を行い、PRIDEのリングにも次々とK-1選手が出場します。あくまで結果論ですが、こういったK-1の総合への絡みが、現在の総合ブームが急速に加熱した一因になっているのではないかと思います。確かにそれ以前から桜庭のグレイシー狩りやシウバ、ノゲイラの登場でファンの支持を得ていましたが、K-1と絡んだことにより一般のファン層をも獲得できたのは間違いない事実です。結局その後K-1とPRIDEは交流が途絶えてしまい、結果として名前を利用されたK-1にすれば憤懣やるかたない思いもあるでしょうが、ファンの視点からすればより多くのハイレベルな格闘技を目にする事ができたのですから結果オーライです。その後ミルコやレコ、ハントなどの流出を許してしまうのもK-1サイドの致命的なミスでした。
今年になってROMANEXを立ち上げ総合にも手を伸ばしましたが、「最強?笑わせるな。このリングからは英雄が生まれる!」と、いきなりK-1自身をも否定するようなキャッチコピーを打ち出しました。 確かにヒョードルやノゲイラなど今をときめく総合選手が出場しない大会で「最強」を謳うのは難しい話かもしれませんが、それにしても・・・。大会もメインの試合が、せっかくの須藤やBJペンなどの活躍を台無しにする内容でした。今後も継続していくようですが、ヘビー級のトップ選手を他団体に握られている今、K-1は立ち技路線に戻った方が良いのではないでしょうか。
いくつかのキーワードをもとに改めて現状を検証していきましたが、ではK-1がかつての面白さ、熱さを取り戻すには何が必要なのでしょうか。
先日谷川氏も「純K-1への原点回帰」を発表しています。確かにサップ、曙は名前を出せば注目を浴びますし、視聴率も取れるでしょうが、実績を残せないままではいずれ一般の関心も薄れてしまいます。サップに関しては今後も本人に出場する意思があるのか、無いのであれば無理強いさせず、本人が希望する道へ進んでもらいたいと思います。曙はまずJAPANシリーズなどから出場し場数を踏む事が大事ではないでしょうか。こういった選手たちの価値を落としたくない、知名度の高い選手を広告塔にし大会を注目させ視聴率を稼ぎたいという主催者側の意図も分かるのですが・・・。ファンが本当に見たいのは有名タレントの顔見せ試合ではなく、実力選手の真剣勝負なのですから。
また不明瞭な審査基準の撤廃も徹底して行ってほしいです。(こんな当たり前のことを書きたくも無いのですが。。。)
前回のMAX決勝戦で誤審を行ったとして二名の審判員と角田氏に対して減俸処分が下されたのは記憶に新しい事例ですが、これまでも審判の不明瞭な審査基準及びジャッジに疑問の声が上がっていました。今年の静岡大会でも、周囲の「サップを勝たせよう」とする意図が見え見えの、「藤田戦でボロボロになったサップの劇的な復活劇」を演出したと言われても仕方の無い、信じられないレフェリングは目を覆いたくなる程ひどいものでした。当たり前の話ですがレフェリー及びジャッジは公平でなければいけません。格闘技における作為的なドラマなどファンは望んではいません。真剣勝負の中で生まれたドラマこそにファンは惹きつけられるのではないでしょうか。
前回のMAX決勝戦で誤審を行ったとして二名の審判員と角田氏に対して減俸処分が下されたのは記憶に新しい事例ですが、これまでも審判の不明瞭な審査基準及びジャッジに疑問の声が上がっていました。今年の静岡大会でも、周囲の「サップを勝たせよう」とする意図が見え見えの、「藤田戦でボロボロになったサップの劇的な復活劇」を演出したと言われても仕方の無い、信じられないレフェリングは目を覆いたくなる程ひどいものでした。当たり前の話ですがレフェリー及びジャッジは公平でなければいけません。格闘技における作為的なドラマなどファンは望んではいません。真剣勝負の中で生まれたドラマこそにファンは惹きつけられるのではないでしょうか。
なんだかんだと声を大にして訴えてきましたが、(まだまだ言い足りないこともたくさんあるのですが)これもK-1を応援し続ける一ファンの声と思って読んでいただければ幸いです。MAX決勝大会前、魔裟斗はある雑誌で次のようにコメントしています。「自分のモチベーションがもつような状況が今のK-1にはない」現役王者にこれほど毒を吐かれるほど今のK-1は選手にとって魅力のないリングなのかもしれません。
かつてグレコが倒されても倒されても立ち上がり続けたような、
かつてベルナルドが敗れて悔し涙を流したような、
かつてフィリォが鼻血が出しながら悔しさの余り絶叫したような、
かつてアーツがスネが裂けながらも戦い続けたような、
かつてホーストがアクシデントで準決勝に出場できず控え室で静かに涙したような、
かつてバンナが腕を折りながらも栄光を掴もうと戦いを止めなかったような、
かつてフグが負けても負けても王者になることを諦めなかったような
かつてベルナルドが敗れて悔し涙を流したような、
かつてフィリォが鼻血が出しながら悔しさの余り絶叫したような、
かつてアーツがスネが裂けながらも戦い続けたような、
かつてホーストがアクシデントで準決勝に出場できず控え室で静かに涙したような、
かつてバンナが腕を折りながらも栄光を掴もうと戦いを止めなかったような、
かつてフグが負けても負けても王者になることを諦めなかったような
そんな魅力ある、そして権威あるK-1に戻ってほしいです。
以上長文にお付き合いいただきありがとうございました。
以上長文にお付き合いいただきありがとうございました。
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